【ドノウエの本棚】古典推理小説に思いを馳せて
どうもこんばんは、ドノウエです。
本日から新シリーズ【ドノウエの本棚】スタートです。
といっても、何か新しいことを始めるというわけではなく、以前にも時たま書いていた本の感想記事を1個のシリーズとしてタイトルを付けただけなんですけどね。
ちなみに、しばらく書いていなかったのは本を読んでいなかったわけではなく、見る人がいないから「まあ、書かなくてもええやろ!」となってたからです。ただ、やっぱり書きたいことを書きたいなあ、となったのでこうしてシリーズ化して改めて始めることになりました。続くかは知らない。
普段はポケモンGOのことばかり書いているし、見てくれる人もポケモンGOつながりで来ている人が多いと思いますが、私の自己満足記事にどうぞお付き合いください。
本題
本題といったものの、本日は本の感想記事ではなく、読書をしている中でなんとなく思ったことをつらつらと書き連ねていきます。(=本の感想記事よりも自己満足が強い。)
以前の記事、というかかなり最初の記事でミステリ小説が好きということを書いていたのですが、(3本目の記事とかだった気がする。)
ミステリ小説が好きとか言っている割には、シャーロック・ホームズであったりエルキュール・ポアロであったりといったいわゆる古典推理小説って一度も読んだことないなあ、と思ったんですよね。
もちろん、そういった類の小説を読んだことがないからと言ってミステリ小説好きを名乗っちゃいけないわけではないでしょうが(そういう風に考える人もいるかもしれませんが)、何となくモヤモヤとした感情が生まれてしまったんですよね。
ということで、せっかくならこの機会に古典推理小説の中でも有名どころを読んでいこうと思ったんですよね。
まあ、読んでいこうと思ったのは結構前の話なので、すでに読み終わっているんですけど…。
つらつらと感想は書きませんが、簡単に何の本を読んだかだけ紹介しておきます。
今回、読んでみたのは2冊。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』と『ABC殺人事件』です。
どちらもアガサ・クリスティになったのはたまたまなんですが、やはりどちらも有名な作品なだけあって、今の時代に読んでも面白かったですね。
あと、下の記事を書いた際に翻訳小説は日本人作家では使わないような独特な言い回しがあるから読みにくいな、ということを書いたのですが、翻訳小説だからというよりも訳者がどう訳すか次第なのかなという風には感じました。
同じ作者の作品ではありましたが、『そして誰もいなくなった』はそんなに読みづらさを感じなかったのに対し、『ABC殺人事件』は結構読みづらさを感じてしまいましたので。
また時間があるときには、こうした古典推理小説も読んでいきたいですね。今は読みたい本が他にもいっぱいあるので、そこまで手が回りませんが。
別件
今後も感想記事を書いたりすることはあると思いますが、感想はTwitterをメインに上げていこうかと思います。
もちろん、このブログに書くこともあるとは思いますが、ブログに書こうと思うとどうしても長めに書いた方がいいかなと思ってしまって、読んでから間が空いてしまったりしまうと書く気がなくなってしまうので…。
せっかく思ったことがあるのに、それを風化させてしまうのはちょっともったいないかなあと思ったので、手軽にあげられるTwitterも有効活用していこうと思いました。
こんな風に。
『黒猫館の殺人』(綾辻行人)読了。館シリーズは全員死ぬパターンの方が印象が強すぎて、今回みたいなパターンだと物足りなく感じてしまう。物足りないとか言いつつ続きが気になってどんどんページを進めてしまったけど。話の展開は予想がつきやすかったけど、1番大事な部分は予想外だった。(ド)
— ゴマの教室 (@gomagoma505) 2020年3月9日
『黒猫館の殺人』(綾辻行人)読了。館シリーズは全員死ぬパターンの方が印象が強すぎて、今回みたいなパターンだと物足りなく感じてしまう。物足りないとか言いつつ続きが気になってどんどんページを進めてしまったけど。話の展開は予想がつきやすかったけど、1番大事な部分は予想外だった。(ド)
— ゴマの教室 (@gomagoma505) 2020年3月9日
なので良ければ、Twitterのフォローもよろしくお願いします。
すっかりブログを書かなくなってしまったノウミサンですが、Twitterにはちょこちょこ現れています。
ということで、本日はここまで。今までで1番長い記事になってしまった。
ドノウエ